オランダ

アンネ・フランクの家で見た隠れ家の生活と戦争の悲劇とは?実際に行ってみて思った事

2012-09-22 Yoshi(丼)

今日はちょっと真面目にブログを書きます。

今までヨーロッパを旅してきて感じた第二次世界大戦、いや、戦争の爪あと、悲劇を。

そして今日書く「アンネ・フランク」の家。

世界中で有名な「アンネの日記」( Het Achterhuis)

悲しみを感じてしまう、どれだけの想いをしたのかを・・・。

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アムステルダムにある「アンネの日記」の作者 アンネ・フランクが家族とともに隠れ住んでいた家

「アンネの日記」の作者 アンネ・フランクが家族とともに隠れ住んでいた家

アンネ・フランクの家は今もアムステルダムにあり、観光客が訪れる事ができます。

ボクも読んだ事はないけれど存在は知っているし、どんなことがあったかも大体知ってる。

ポーランドのアウシュビッツ強制収容所にいった時に、オランダのアムステルダムに行ったらいこうと決めていた。

 

アムステルダムの「アンネ・フランクの家」はどこにでもある普通の家でした

アンネの家は想像とは違った。

隠れ家といわれていたからもっとすっごい掘っ立て小屋みたいなのを想像していたら、普通の3,4階建てのアパートのような家だった。

表立ってみたのならば、並んでる家の一つにしか過ぎない。

 

アンネのお父さんは表は工場として、本棚を隠し扉として作り一切光のない隠れ家を作った。

この辺の話はみんなの方が詳しいし、調べればいくらでもでてくると思う。

実際行ってみると、ホントにこんなところに隠れていたんだ~って思う。

 

アンネの家の隠し部屋、それは誰にも見つからないようにここで一家が過ごした時間が刻まれていた。

色んなところにアンネの言葉が残されていたり、説明がある。

外の住人に見つかってはいけないからカーテンを閉じた生活。従業員がきてからは物音を立てないようじっとしている生活。昼間はトイレすら慎んだとか。

 

アンネの頃の年頃なら、外にでて元気に遊んで、自由に、ちょっと恋もしたりと青春時代を暗くひっそりした空間で過ごす辛さ。

いつか日記を出版して作家になりたいという夢。

ラジオから聞こえる戦況に一喜一憂していた家族。

柱の成長の印。

 

見ていて辛くなってきた。2年間の潜伏生活。

それがどれほどのものかは日記でしか知ることができない

 

そして突然の「密告」による終焉。あの地獄の強制収容所へ家族ばらばらに連れて行かれた・・・。

ある日突然の密告のよって、それも突然の終焉を迎える。

その後の地獄の強制労働による死。

ユダヤ人強制収容所の過酷な環境は「アウシュビッツ強制収容所」の見学をしたので、その悲惨さ、残酷さ、人とはどういった心境になるのかを見てきた。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所 ポーランド オシフィエンチム
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ここには一人の少女の生き様が残っています。

大きな悲しみとともに暗い気持ちになりますが、二度とこんなことが起きて欲しくないという願いが強くなります。

最後に書かれていた言葉が胸に突き刺さりました。

 

 

もう起こった過去は変えられない。その事実をしっかりと受け止めて何か感じてください 

もう起こった過去は変えられない。その事実をしっかりと受け止めて何か感じてください

しっかりと受け止めました。これからも。

そして二度とあのような悲惨な事が起こらぬように、ボク自身もしっかりと生きていこうと想います。

もしアムステルダムに訪れる機会があったら、「アンネ・フランク」の家を訪れてあげてください。

 

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